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Foxryo's Note Pad

 


【ドライブ旅】 奈良 法隆寺で聖徳太子の面影を探る
2021年10月30日(土)
法隆寺の仏像えびのや法隆寺の建物聖徳太子と斑鳩散策めぐみの郷

JR東海が主催している「奈良学文化講座」。176回目となる今回は法隆寺を中心に「斑鳩に残る飛鳥時代の面影を辿る」をテーマに開催。hideに連れて行ってもらいました。と言っても今日はfoxryoがお抱えドライバー状態。結果的に行きは全部運転したし、帰りも下道2時間運転しました。
朝は7時起きで8時出発。10:20くらいに現地に到着。1時間30分の講義のあとは斑鳩散策で約15,000歩(!)。産直品の買い出しをして、法隆寺町を17:30に出て、家に着いたのは21:30。結構ハードな一日でした。

聖徳太子が推古天皇の摂政として都を離れて斑鳩の地を選んだのはなぜか。その謎に迫る散策と講義は歴史のロマンを感じるものでした。




法隆寺の仏像

法隆寺会館へ到着すると、すでに100人ほど着席。今回も300人近くがこの講座に参加されていました。大人気です。もちろん感染予防対策として検温に消毒、マスク着用です。会館の横にある入り口などもすべて開け放たれていて寒いくらいの換気の良さでした。

最初の座学講座は、奈良国立博物館の美術室長 岩井共二さんを講師に、法隆寺の金堂釈迦三尊像、薬師如来坐像、救世観音像を取り上げ、飛鳥時代の仏像の様式を学びました。
美術的観点から通説への疑問を投げかけ。

  • 日本の仏像は霊氣(aura)の具現化である。
    ギリシャのアルカイックスマイルに似ていると言われるけど比較に出されている石像は時代にズレがあるし、作り方自体も違う。内から外への発散した表現である。
  • 飛鳥仏はシンメトリックで正面が美しいと言われるがそうではない。横から、背面からの造形は身体や着衣の流れが見て取れる。
  • 薬師如来坐像の制作年は607年ではないのではないか。
なかなかマニアックなお話の中に、実際に着衣して衣の流れが光背のように想像上の形式的なデザインなのか、リアルなのかを写真を撮影して検証したプレゼン資料を拝見し、研究者魂を感じました。 中国では動かないことで天下を治めることが尊いとされ、着衣をたらしているものは中国では尊いものを表す。動かない人は偉い!
さらにマニアックだったのが3つ目。鞍作止利(くらつくり の とり)のつくる仏像は南朝(宋、斉、遼、陳)様式で聖徳太子が遣隋使を送って隋の新しい鋳造技術などをGETしたにもかかわらず、光背や着衣などにそうした様式が反映されていない。おそらく、日本に渡来した止利の祖父への尊敬の念にあるのではといったお話でした。

先生のロマンあふれるお話、理解できたかどうかは定かではありませんが、foxryo的な理解はこんな感じでした!





えびのや

お昼は車を停めた駐車場の近くのカフェで食べようと目をつけていたところ、講義を終えて行ってみると売り切れ!
近辺には食べ物屋さんがほぼなさそうに見える。と思ったら以外にイタリアンのお店やカフェがあり、どこのお店でも竜田揚げがご当地メニューぽく旗が立っていました。

お腹が空いている二人は喧嘩しつつ、hideが車に乗っている時に目をつけていた天丼屋さんへ。これが、なかなかに遠かった・・・。けど、到着してみるとお店の中には同じ講座の参加者の人もちらほらいて、午後からの時間が1:45集合とお昼が長めにとってあるのでちょっと安心しました。

はい、こちらが「えびのや」さんの上天丼です。
なかなかに濃い口醤油がインパクトありです。

海老3本、イカ、白身魚、かぼちゃ、卵(!)の天ぷら。最後に卵の天ぷらを割ってとろんとした黄身とご飯をいただきました♪。

天丼には明太子食べ放題がついています! 超濃いおつゆがたっぷりとかかったご飯なので、foxryoは2切れいただくに留めました。ご馳走様でした。

「えびのや」さん、いいなと思って企業理念とかぐぐってみました。

【企業理念】
お客様に喜んでいただくと同時に、働いているすべての仲間の幸せを多哀切に、大切に、共有できる組織でありたい。
社長さんのメッセージにはこう書かれています。
温かいものは温かく、冷たいものは冷たく。あたりまえのものを、あたりまえに笑顔で提供する。そして、感謝を込めてほんのわずかな一言を添えること。「お客様の気持ち」を学んできたことが私の一番の財産です。 家族のために、真心を込めて家族の食事をつくるお母さんのように。そんなあたたかいお店であり続けるよう、一層の努力を重ねてまいります。


名古屋の栄にもあるので、栄に行った時に行ってみようかなと。

☆フジオフードURL:https://fujiofood.com/brand/





法隆寺の建物

再び法隆寺に戻り、中門に集合。レシーバーを首から下げて今度は法隆寺の建物や飛鳥時代の斑鳩地域の景観について奈良大学文学部文化財学科 相原嘉之先生からの興味深い解説を拝聴する。

誰もがご存じの法隆寺の五重塔。
こんなに高い塔を飛鳥時代の人たちが建て、現代の私たちが同じ場所で見ているというのはタイムスリップできそうな気分になります。
芯柱は2本の木の接ぎ木でできているんだそう。そしてその柱には各階の屋根はくっついていない。芯柱が独立していることによって周りの屋根が揺れても均衡を保つ。地震大国日本で倒れない設計! すごい技術です。しかも、各階には床がなく、いうなれば1階平屋建て(!)なのです。まさにツリー? 人間の知恵ってスゴイなぁ。

さてさて、塔の屋根の数を数えてみてください。

なんだか変だと思いませんか?

6重ありませんか?

「でも、1つは 屋根じゃないじゃん」と思った方、正解です。



五重塔も金堂も後の時代に補強がされています。
五重塔でいうとそれが一番下の小さめの屋根。ここはもともとなかったものです。
また、真ん中の写真の金堂の龍と狛犬の彫り物があるところ、これも後の時代に補強をしたのを見栄えをよくするために飾りをつけたものです。

この五重塔と金堂は聖徳太子が亡くなってから建てられたもので、東西(五重塔、金堂)に配置されています。その前の時代は南北(塔が前で金堂が後ろ)でした。

また、金堂の後ろにある講堂は普通は回廊の外にあるものなのですが、これも時代の移り変わりとともに現在のカタチとなっています。

さらに聖徳太子が建てた法隆寺は焼失していますが、発掘調査により、理由はわからないものの、いまとは東西線から角度が20度ずれていたこともわかっています。そのズレがわかる道の痕跡も発見されていて、それを後の斑鳩散策で体験しました。

ロマンあふれるお話はまだまだ続きます。





聖徳太子と斑鳩散策

聖徳太子は斑鳩で隠居していた? 
いやいや、隠居ではなく、都を離れ、愛する人のいる地でリモートワークをしていた。

そうおっしゃる相原先生。

総合プロデューサーの推古天皇、ディレクターの蘇我馬子、そしてプランナーの聖徳太子。
仏教を通して豪族連合のヤマト王権から天皇中心の国家体制への転換を目指していました。

企画は田舎でもできる!

聖徳太子の生まれた上宮王家はもともと桜井にあったのですが、斑鳩に移ったのは、馬子と協力し、交通の要衝である斑鳩の地に、最新の技術に彩られた外交拠点を作ろうとしていたのではといわれています。
斑鳩は聖徳太子の母 穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の住んでいた宮があったところ、そして聖徳太子の最愛の妻 膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)の豪族の故郷。聖徳太子はこのお二人と仲良く大阪の叡福寺のお墓に入られているのだそうですよ。

散策では、いまの法隆寺が東西線から8度ずれていること、聖徳太子が建てた法隆寺と焼失後に建てられたいまの法隆寺とその街道が20度ずれていることが目で見て取れるところを確認。仏教寺院の建築様式のスタンダードを決めるために試行錯誤されていたのでしょうね。

夢殿の裏にある季節はずれに咲いた桜を眺めたあと、中宮寺跡史跡公園(聖徳太子の母 穴穂部間人皇后の住まいで、亡くなってからお寺になったところ)の遺構が再現された公園へ。
ここは塔と金堂が南北に配置されていたのが遺跡の発掘からわかっています。伽藍の位置や建築様式も時代によって変わっていることが発掘によってわかってきています。

この公園からは3つのお寺の塔が見えるポイントがあります。

法隆寺、法起寺、法輪寺。
ここから聖徳太子も3つの塔を眺めていたのでしょうか?
コスモスの花が秋の高く青い空に映えていました。







めぐみの郷

上宮遺跡公園が最後の立ち寄り場所。ここで解散。
そのあと車を停めた駐車場のそばで見つけた産直スーパー「めぐみの郷」でお買い物。
シルクスイートが1kgで198円!で超お得とか、奈良のお野菜「日野菜」(カブの一種)や、こちらでは見ることのないお菓子やお惣菜を買い込みました♪

☆めぐみの郷: https://meguminosato.co.jp/tenpo_top/naraikaruga.html
☆柿千(あじみ屋):https://www.kakisen.jp/corporate/


うまし、うるわし、ならの旅

たくさん歩いてたくさんロマンに触れた一日でした♪



お * し * ま * い




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