Foxryo's Note Pad

トルコ 逆時計回り新発見の旅

2010年12月23日(木)〜2010年12月30日(木)


 << *** schedule *** >>
12/23 一路トルコへ
Fin Air AY0080 セントレア発 11:55-15:15 ヘルシンキ着 (乗換) AY0957ヘルシンキ発 16:55-20:15 イスタンブール着 バルセロエレシントプカプ泊
12/24 ダーダネルス海峡横断【世界遺産1】トロイア遺跡 <移動距離 500km>
バス移動 〜 ゲリボル港で昼食ダーダネルス海峡をカーフェリーで横断 〜 ラプセキ港着 〜バス移動〜 トロイア遺跡見学 〜 バス移動 〜 アイワルク着 グランドデミセルホテル泊
12/25 エフェソス遺跡 〜 パムッカレへ移動 <移動距離 410km>
バス移動 〜 エフェソス着 〜 昼食 〜 エフェソス遺跡見学 〜 バス移動 〜 パムッカレ着 サーマルコロッセア泊
12/26 【世界遺産2】パムッカレ石灰棚見学、メブラーナ博物館見学 <移動距離 500km>
バス移動 〜 パムッカレ ヒエラポリス、石灰棚見学 〜 バス移動・昼食 〜 コンヤ着 〜 メブラーナ博物館見学リクソスホテル泊
12/27 シルクロードの隊商宿見学、【世界遺産3】カッパドギア見学、寝台列車乗車 <移動距離 500km>
バス移動 〜 スルタンハンの隊商宿キャラバンサライ 〜 洞窟レストランで昼食 〜 カッパドギア見学 〜 バス移動 〜 アンカラ駅到着 〜 駅のレストランで夕食 〜 寝台列車アンカラエクスプレス乗車 〜 列車内泊
12/28 ボスフォラス海峡クルーズ、【世界遺産4】イスタンブール見学(ブルーモスク、アヤソフィア、グランドバザール)
列車移動・食堂車で朝食 〜 ハイダルパシャ駅着 〜 港へ移動・クルーズ 〜 旧市街側到着 〜 ブルーモスク、アヤソフィア 〜 バス移動 〜 昼食〜 グランドバザール見学 〜 バス移動 〜 新市街探索 〜 スルメリイスタンブール泊
12/29 【世界遺産4】イスタンブール見学(トプカプ宮殿)、帰国の途へ
バス移動 〜 トプカプ宮殿見学 〜 空港着 〜 Fin Air AY0956 イスタンブール発13:15-16:35ヘルシンキ着 〜 AY0079 ヘルシンキ発17:15-
12/30 帰国
10:07 セントレア着



はじめに

ギョレメの谷から「カッパドギアとパムッカレに行ってみたい」

ずいぶん前から二人ともそう思っていたこと、Fin Airに乗りたいというhideの要望とも合致し、阪急交通社のトラピックスツアーに申し込み。

トルコに行って、感じたこと。それは、あのあたりでは、「この海の向こうにどんな土地があるのか」ということがすごく重要だということ。いやがおうでも、それを感じずにはいられない地理的、物質的状況があり、それが歴史を創ってきたんですね。「歴史の十字路」と言われるトルコ。

個人旅行でなく団体ツアーに申し込んだこと、そこにトルコ大好きなトルコ人ガイドのゆうちゃんがいたこと。でなければそんなに感じなかったことでした。

  • ルーブル美術館にはない、勝利の女神nikeの顔とは
  • トルコだけでなくキリスト教の教会建築にも携わった建築家は
  • 何故マリアさまはエフェソスを最後の土地としたのか
  • 何故中国語ではイスラム教を「回教」というのか
  • 何故トルコがアラビア文字を捨てたのか
などなど、ほんとにいろんな情報を得られました。

それから、トルコの皆さん、どこにいっても(ま、観光地ですしね)本当に日本語をすらすらと話します。日本語と同じウラルアルタイ語圏で文法が似通っていることもありますが、全く同じ発音で同じ意味を持つものまであります。たとえば、山の頂を表す「てっぺん」、良いを表す「いい」。

日本と共通することも多いトルコでしたが、その歴史は相当古い。これからぼちぼちとこの旅で得られた情報をお話していきます。

のっけからハプニング

セントレアからトルコへの直行便はないので、Fin Airを乗りついで、イスタンブールへ。

乗り継ぎ空港のヘルシンキは「100ml以上の液体没収」が厳密と聞いていましたが、まさかのセントレアでの手荷物検査で差し戻しとは・・・。初体験。
化粧ポーチはOut!で、検査場所の横手にあるドアからお財布だけ持って追い出され、隣にあったお店でジップロックを購入。そしてまた手荷物検査の列に並ぶ・・・。うーん。でもこのおかげで、ヘルシンキで他の人のように、整髪用のジェルや化粧ポーチを没収されずに済みました(ほっ)。

さて、Fin Air。機内食は美味しいし、映画も好きなときに見られるし、結構良い。
なべさんが欧州行く時はFin Airを勧めるのも頷ける。機体はAirbus330でした(2席、4席、2席の配列)。乗り継ぎ後も同じ航空会社だからか、待ち時間も少ないし。ただ、これまた最後までそう思えるわけもなく(笑)。

セントレアでFINAIRに乗るヘルシンキはマイナス20度!


ヘルシンキの空港は欧州へのハブ空港になっている割りに、小さめ。クリスマスイブイブってこともあり、フルートの演奏あり。
あと、アメリカの空港ではありえない、喫煙エリアの多さ。しかも広くて綺麗。フィンランドはきっと喫煙人口が多いのでしょうね。hideは満足げでした。

また、待合所の椅子がまるで夏のバカンスみたいでなんだか面白かったです。

フルートの演奏夏のバカンス椅子イスタンブール便に乗り換えです


ヘルシンキは、マイナス20度。乗り換え後の機体は、Airbus319(両側に3席ずつ)。雪の積もる空港内をバスで移動し、タラップを登りました。さぶ・・・。

セントレアからヘルシンキまでの10時間のフライトのあと、1時間ほど休憩し、次は3時間か。一路、「飛んでイスタンブール♪」なのでした。

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バルセロ エレシン トプカプ

初日はイスタンブール泊。思ったよりも暖かい。ヘルシンキのマイナス20度の世界から来たからそう思ったのかも。
旧市街にあるホテルに21時ごろ到着。これから6日間ほとんど、「着いたら眠り、翌朝6時起床、ホテルのレストランで朝食をとり、7:30出発」という毎日が続きました。健康的だなぁ・・・。

イスラム教の国だから、クリスマスはもちろん祝いません。太陰暦のお正月は祝うのかと思いきや、毎年日にちが変わるので、12/31と1/1を休日として特に祝うこともしないそうです。海外からの訪問者が多いホテルだけは、ツリーを飾っています。

ホテル到着!ロビーはちょっとクリスマスな雰囲気ホテル外観


初日のホテルが私には一番良かったです。Wifiも使えたし。スリッパもあったし。山の中のホテルではなく、都市のホテルだから良かったのかもしれません。
今回のツアーで泊まるのは(一応)5つ星ホテルだということでしたが、アメニティや水の出や料理など、総合するとそうなるかな。

シックな室内水周りバスタブはどこのホテルもカーテンではなく、ガラス戸でしたホテル外観


チーズ山盛り朝食はビュッフェ形式。
チーズがたくさんあったのが印象的。朝から沢山食べてしまいました。
そういえば、異常に背の高い外国人の方がたくさんいてビックリ。バスケットボールの選手だったのかな???

☆ホテルサイトURL:http://www.barcelo.com/BarceloHotels/en-GB/Hotels/Turkey/Istanbul/EresinTopkapi/Home.htm



イスタンブールの7時はまだ夜が明けたばかり。月が掛かる空に、人々を詰め込んだ青いトラムが走り去る。

バス停 トラムが走る 月がかかる空


さて、これからトロイアへ向けて出発です。

イスタンブールの朝焼け

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ダーダネルス海峡横断

「イスタンブール」という名前は、オスマントルコ時代の都「コンスタンチノープル」の栄華を偲び、短縮されたものだと聞きました。トルコの歴史は波乱万丈です。

そのイスタンブールの旧市街の中に見え隠れするモスクの尖塔、続いて新市街、都市部の食を満たすための農地、そして鰯がいっぱいとれるというマルマラ湾。景色の移り変わりを眺めながらゲリボル港へ。

広がる農地

バス移動の途中にはだいたい2時間に一度休憩時間あり。給油もできるからか、観光バスが立ち寄るガソリンスタンドには必ずコンビニやお土産屋さんが併設されていました。トイレは0.5〜1トルコリラの使用料が必要です。

ガソリンスタンド併設のコンビニ お土産も売っています

 

職人港にあるお店で昼食。私たちのテーブルの後ろでトルコの職人さんが石釜でピザやパンを焼いていました。職人さんの頭の後ろにある青い目玉親父みたいな壁掛けは、トルコのお守りです。ツアー中に見たバスやレストランの建物には、この青目玉シールが貼られていました。

トルコ最初の食事がこれ↓
ホテルのバイキングでは必ずこのトマトスープとヨーグルト風味のスープがでてました。牛乳みたいのは、「アイラン」というヨーグルトの飲み物です。そして、メインは・・・、鯖っ! オリーブオイル焼き。お味は、「ナイフ&フォークじゃなくて、お箸が欲しい!」と皆が訴える通りの味でした。

ヨーグルト風飲み物アイラン トルコ名物?トマトスープ 鯖なのに・・・
 

鯖サンド売ってました港の雰囲気は【日めくりカメラ】みたいな感じ

イスタンブールも暖かかったですが、ここゲリボル港も小春日和のように暖かかった。

そして、乗船。
チャイを飲みながら、青い空と海を眺める。
チャイは2杯で1トルコリラ。

船の煙突 トルコ名物チャイ

さぁ、たくさんのトルコカモメに随行されながら、トルコ西端にあるダーダネルス海峡を渡ります。
西側がエーゲ海、東側がマルマラ海。そして、前方対岸は、ラプセキ港。

ダーダネルス海峡を渡ります。

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トロイアの遺跡

9層の都市ダーダネルス海峡を渡って少し南に下りた小高い丘の上。日本の教科書にも載っているドイツ人シュリーマンが発見した「トロイア」に到着。
ギリシャ神話の中の古代都市イリオスと言われています。遺物に散見されるギリシア文字のようなものを見ると、ヨーロッパの起源ってここなのかもと思えます。

「トロイの木馬」は子供だましのようなオブジェだったので、「ここで1時間見学します」と言われた時、「えぇ〜」とビックリしましたが、遺跡には感動。
海に近く交易できるという地の利が、紀元前2000年よりもっと前からここを都市として栄えさせ、何度も何度も都市として再生されたのでしょう。発見されただけでも9層になっています。ホメロスの叙事詩にでてくる都市はここなのかもですね。

遺跡 ギリシャ文字? 9層を解説
これはどーこだ 答えは「木馬の尻尾」 紫色の花

政が行われる公共の場と住居地区がキッチリ分かれていたり、井戸や水路が整備されていたりと、高度な文明を持っていたのはもちろん、現地ガイドの「ここは大阪城と同じつくりです」と言って、敵を城内に攻め込ませないように城壁が進入に対して急直角になっているのを見たとき、人間は紀元前の昔から「争い」を意識し、知略を巡らせていたのかと驚きました。あと、公共の場は大理石、住居は日干しレンガを使って都市づくりをしていたこと、キュウリの原種が生えていたのも結構オドロキでした。あ、イチヂクの原種の巨木もありました。アダムとイブのイチヂクだったりして。現地ガイドはアキレスの話もしていました。まさに神話の舞台と現実をつなぐようなトロイアでした。

トロイアの一部

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エフェソスの遺跡

勝利の門  「ここは世界遺産にしなくても、
  宣伝しなくても観光客が絶えない」

という現地ガイド。このエフェソスはキリスト教徒が「死ぬまでに一度は行きたい」と思う場所だから、だそう。何故、そう思うのか。それは、このエフェソスはキリストがはりつけにされた後、ヨハネが聖母マリアに危害が及ばないよう連れてきて、生涯を終えた場所とされているから。そして、何故ヨハネがエフェソスを選んだかというと、宗教に対して寛容な土地であったからと言われています。←全部、現地ガイドの受け売り(笑)

ただ、エフェソスにはヨハネの墓はあってもマリア様のお墓がないそうです。それはいらぬ宗教戦争が起きるのを避けたとも言われています。
てことで、確かにツアー中、外国人が一番多かったのはこの遺跡でした。世界遺産にする必要は確かになさそうです。

大理石をリユース エフェソスに行く途中、1本だけ残ったアルテミス神殿の柱の付近へ。
最古のトルコ風呂、アルテミス神殿の大理石をリユースした教会や家々、聖ヨハネ教会などを石畳の道を歩き見ました。
やっぱりここはどう見てもヨーロッパの香りがする。

最古のトルコ風呂 石畳と家々 聖ヨハネ教会

 

それにしても、エフェソスはトロイアよりも数倍大きな遺跡です。勝利の女神Nike、メドゥーサが彫られた裁判所の門、図書室、劇場、馬車が通る大理石のメインの馬車道と綺麗なモザイク細工がなされた人が通る舗道、大理石のマンホール、水洗トイレ、鉄芯が入った大理石の柱、そして、なんといっても勝利の門! 紀元前300年の遺跡は、すべてが芸術品に見えます。しかもまだまだ発掘すればいろいろ出てくるようで、工事中のところもありました。いや〜石の文化って残りますね。

古代の土管! 鉄芯の入った柱 勝利の女神Nike
勝利の門へと続く馬車道 今も色鮮やかなモザイクの舗道 知恵の女神ソフィア
メドゥーサの門 ギリシャ語? まだまだ発掘中場
円形演劇場 4人の女神のうちの1人

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パムッカレ ヒエラポリス、石灰棚見学

さてさて、この日も朝6時起き。ただ、前日、パムッカレのホテルに泊まったので、ヒエラポリス遺跡と石灰棚のある世界遺産には20分ほどで到着。
途中、「雪山?」と思っていたところが、石灰棚!

見えてきた雪山??? ヒエラポリスの遺跡

そして、そしてここも遺跡なんですね。朽ちた水道橋を横に見ながらバスは山の上に上がっていく。綿の畑を眼下に見下ろし、石灰棚と温泉の出るこの土地はいつも外敵に狙われていたそうです。綿を作っていたトルコ人たちは、この石灰棚を見て、「まるで綿の城だ!」と言ったそうです。それでこの土地の名前は「パムッカレ」(「綿の城)になったのです。

遠く高地が広がる。みんな綿畑 水が入っていたらきれいだろうな

夏はわりと水がたっぷりあるそうですが、冬はほとんどありません。大学とともに石灰棚の保存のために水路を作り、水の分配をしています。石灰棚は、水がないと苔が生え、そのうち黒ずみ、土に還ってしまいます。皆さん、いくならいまのうちです。

ちょっとだけ足湯(温水)に浸かり、パムッカレを後にしました。

苔で黒ずんでいます 石灰棚に水を供給する水路

【現地ガイドPRコーナー】「トルコの綿、最高!」 有機栽培されたオーガニックコットンで、真っ白。インド綿はもともと黄色いのだそうです。そして、綿は大阪に送られ、化学成分が入らない方法で染色され、欧州の有名ブランドへ売られていくのだそうです。(ほんとか?)

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メブラーナ博物館

イスラム教が、「回教」と中国語で言われるようになったのは、中国商人たちが初めて出合ったイスラム教がこのコンヤの地でメブラーナ師が創設した一派だったから。

彼らはセマーと呼ばれる旋回舞踊で、右手を高く天に向け神からの恵みを受け取り、それを左手のひらを下に向け、人々に渡す。神をあがめるのではなく、人間を介して愛と寛容を伝えていくというところがこの教派の教え。古代における神職者は学者。メブラーナ師はじめ高い学識を持った人々の宗派でした。

メブラーナ博物館 メブラーナの霊廟

【現地ガイドPRコーナー】メブラーナ教は今、キリストの教えより愛と寛容であると欧州で大人気。多くの欧州人がコンヤのこのメブラーナ霊廟を訪れているそうです。確かにここは外国人、多かったですケド。

続く >>>


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